あいつが電話に出ない――。 あたしは、少し焦って家を出た。アパート下の車庫に叩き込んである黒い単車に飛び乗 って蹴りを入れた。一発で身体に響く重低音の爆音が響く。メットに頭を突っ込んだはい いが、ベルトを締めるのも面倒でそのままアクセルを踏み込んで狭い車庫の入り口をすべ り出る。 「バカユウキ」 近所メーワクな音の中呟いてあいつの少し危なげな、自嘲気味な笑みを浮かべた顔を思 い出した。 信号にもつかまらずに物の数分であいつが住んでいるマンションが見える。単車を外の 車庫に突っ込んで、マンションのオートロックを解除。そのままエレベーターに飛び乗り、 四十階を選択。上昇するわずかな間も惜しい。 単調な音共に扉が開いて、駆けた。つきあたりのそれなりに日当たりのいい部屋。合鍵 で開けて靴を脱ぐ。そして、ぱたぱたと走って中に入ると、いつもと変わらぬ整理整頓が 行き届いた白と黒で統一された部屋があたしを出迎えた。あのバカの姿を探し、ダイニン グからリビングに入ると、窓際で蹲っている背中が見えた。冷や汗が背筋を伝う。あのバ カ、薬決めたんじゃないだろうね。 恐る恐るその背中に近づくとうなされている。顔色を見てみると、そこまで悪いわけで もなくただ、眠っているらしかった。 その様子をみてあたしは、深く、深く溜め息をついた。 最近、眠れないとユウキ、こいつが行っていたのを思い出して、家を飛び出したのだ。 ユウキは、ごくたまに自殺未遂や、錯乱を起こすことで部隊内、否、軍内部で有名だっ た。本人は全く覚えていない事から、深層心理や、無意識の内にそういう行動を起こすの だろうという可哀想な人だという理解も得ている。しかも、問題行動を起こすのは、決ま って、前日に雨が降り、二、三日オフの日の早朝。 それを防ぐために、部隊長が、ユウキがオフの日の早朝に無料モーニングコールを実施 しているのだが、今日は都合が悪かったらしい。あたしがやる手筈で、こいつにも伝わっ ていた。それなのに。 とにかく、無傷で、眠っているだけのユウキの寝顔を見てまた溜め息をついて、寝汗で 張り付いているユウキの額の髪をかき上げた。 ピクリと眉が寄る。それでも、起きる気配もない。手の平に伝わったユウキの体温は少 し高めだった。風邪でも引いたのだろうか。 「仕方ないよね、これじゃ」 夏でもないのに、ましてやこんなカーペットも引いていない床で眠っていたならば、引 かぬ風邪も引くだろう。起こさないように体を担ぎ上げて、隣室のベッドにそっと寝かし つけた。 かすかに寄っている眉に浅く閉じられた目蓋。無表情か不機嫌そうな表情を作っている 仏頂面は、見事に無防備な男の寝顔になっている。その柔らかな髪を指ですいてあたしは 部屋の外に出た。 ←BACK NEXT⇒