静かな空気にふっと顔を上げて、あっけからんとしているウェナの顔にようやく気づい
てやっちまったと内心苦い顔をした。
「すまん、言い過ぎた」
 ベッドに腰掛けて溜め息をつくとウェナは首を横に振った。
「物事を深く考える人なんですね、ルランさんは」
「狩人だから、そういうものに触れる機会があるだけなんだ。殲滅しなければならないヴ
ァンパイアもあるが、中には、こうすれば彼の世に行くと訴えるやつもいる。誰も、人間
らしい。ダンピールは、人として行動しているだろう。聖堂にいるのは」
「知ってます。レオさんとかはよくこちらに」
「あれが?」
「ええ。総大司教様と同じぐらい懐かれてますよ」
 意外な一面だった。でも、好きではなければ自分は拾われてないよなと思い直して頷い
た。
「聖職者になりたいのか?」
「はい。説教とか、えらそうな事は出来ないかもしれませんけど、でも、神官戦士や、事
務の仕事でもいいから、世話になった教団に孝行したいんです。欲を言えば、リリアさん
の呪いを解きたいんですけど、総大司教様にも解けない呪いなら、誰にも解けないだろう
って」
「そんなに力が強いのか?」
「ええ。いま、事実上の最高の実力者は、総大司教様なんです。教皇はただ上に立ってい
るだけ。後は柩機卿の何人かが運営をしているそうで」
「お飾りという事か?」
「そんなところですね。だから、総大司教様は王都から遠いところに飛ばされてるんです。
毎回報告に行くのは面倒とか言ってましたよ」
「だろうな」
 肩をすくめるとこの聖堂から数日歩かないといけないところにある王都の方向を見た。
「王都には?」
「まあね、この国を一周ぐらいはしてるから。まあ、人ごみは好かないから市にいったこ
とはないが」
 肩をすくめて言うと旅の思い出がちらついた。そこでも救えなかった命があると、ふっ
とその人の顔を思い出した。どことなく、母親に似た面差しの女だった。
「そうなんですか。王城とか、どうなんですか?」
「王城? ただのでっかい建物にしか見えなかったが」
 それはただの価値観の違いだろうが、石造りの立派というより無駄に大きい建物だと思
ったのは言わないでおこうと思った。
 たかが一王族、一等親、二等親しか住む必要のない家なはずなのに、地上三階建て、部
屋数、五十などという馬鹿でかい城をつくり、維持する事に無駄金あるなあと思ったのだ。
 それだけ広ければ、それだけの侍女や執事、下働き、護衛の騎士がいるはずだ。それら
の賃金も考えれば、王国の財政難は頷けるものだ。
「やっぱり、石造りで立派なものなんでしょうかね?」
「石造りである事は変わりないが、そこまで立派ともいえないな。もう、古びてコケやら
ツタやら伸びてたね」
「へえ」
 にしてもひどかった。そう思いつつ下でロホがこちらに手を振っているのが見えて身を
乗り出した。
「帰るぞー」
「わかりました」
 その声が聞こえていたのだろう。ウェナは立ち上がって扉を開けてくれた。
「てことだ。じゃあな」
「ええ。また」
 頷いたウェナに軽く手を上げて答えて下に行くとロホが待ってくれていた。並んで歩く
とちょうど父と子のポジションに入る。
「どうだった、あいつと」
「まっすぐすぎて大変ですね」
「そんな事いうなって、同年代のダチがいても面白いだろ」
「精神的に穏やかじゃないんですよ。住んでいたところが違いすぎて」
 下手したら、自分の境遇を嘆き、憤りそうで怖いのだ。そして、あのまっすぐすぎる目。
それはヴィラにも同じ事だった。自分には持っていないものを持っている。それがたまら
なくうらやましい。
「それもお前が人の分類だって証だろ。まあ、反乱起こされるのはやだけどそうも考えら
れる」
「自分の醜さが浮き彫りになるようで」
 いつの間にかこんな言葉まで紡いでいた。その言葉にロホはふっと笑ったようだった。
「人間なんて、みんな醜いさ」
 そう呟いたロホは空を仰いだ。ルランがそれに習いロホを見上げる。
「聖職者という肩書きにすがり、領民から金を搾取するアホ。はたまた、全てを受け入れ
るといっているのにもかかわらず、お前達を受け入れない国の連中。村の連中。ガキには
飯も与えず、盗ったら盗ったで折檻を与える馬鹿領主。俺が生まれたときから、世界は、
国は、人間はクソまみれさ」
 そういう総大司教には皮肉気な笑みが浮かんでいる。普段のロホを知っているものなら
ば驚いただろう。
「何で、自分の利益にだけすがれるんだろうな。他人を見られないんだろうな。まあ、俺
もそんな醜いところがあるんだろう。怖いのはそれを自覚できない事だ」
 そこでやっとロホは皮肉気な笑みを消してルランを真剣な顔して見つめた。
「だが、お前は、そんな自分の醜いところを自覚できる。それは、律する事もできるとい
う事だ。それだけじゃ、辛すぎる。だから、感情をぶつけられる相手がいたほうがいい。
そういう相手、見つけておきな。そうする事で、本気で人と向き合える。そうしたときに
は、お前が欲しくてしょうがないものが、手に入っているよ」
「俺が、欲しいもの?」
 うつろな声にロホはしっかりと頷いた。まっすぐとルランを見つめる視線は深く何もか
も受け入れられそうな優しさに満ちていた。
「そ、お前は、ありきたりだけど愛に飢えている。欲しいから人を愛そうとしている。け
れど、愛し方を知らない。人の温かな心に触れていたい。って思っている。そうだろ?」
 深い声音に我知らず頷いていた。そうかもしれない。
「お前のその相手は、親友は、俺じゃなくて、あのお馬鹿さんでいいと思うよ。あの子は
お前とよく似た闇を持っている。頭のつくりは正反対だが、精神面はかなり似ているよ。
まあ、あの子の方が若干根暗君かな」
 そこまで観察しているのは総大司教だからだろうか。いつの間にか、慈しみの表情がロ
ホの顔に浮かんでいる。
「だから、悩んだりしないで、まっすぐに行きなさい。お前にはきちんとした善悪の判断
が付く。道徳上ではなく、自分自身で」
「自分自身?」
「一度、自分の身に置き換えて考えることがあるだろう。それが君を苦しめている。だが、
それが一番人に必要なものだ。君は、それを、その心に持っている。辛かったろう。でも、
君は、本当にいい聖職者になれる。人を救える強さを持っている」
 総大司教らしいお説教だった。面と向かってほめられた事のないルランは少し視線を下
げて頬をかいてこくんと頷いた。その頭をロホがぐしゃぐしゃと撫でる。
「いい子だ。じゃあ、行くぞ」
「ああ」 
 子供扱いをされたことに不満を持ったのか、むっと唇をへの字にしたのをみてロホは苦
笑をもらした。
「背、伸びるといいな」
「言うな」
 即答したルランを笑うと孤児院の入り口の前に待っていたらしいヴィラとアランが楽し
そうに談笑していた。


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