そして、約束の日になった。着替えを借りて体を一度ふいてから総大司教の執務室に案
内してもらうとノックしてから入った。
「失礼します」
 まっすぐな声にロホは微笑んだ。入ってきたその憑き物が落ちたような顔に目を細め、
ルランの表情を見てわざと首を傾げた。
「んで、回答を聞かせてもらおうかな。どうだ?」
 その言葉にルランは姿勢を改めて一つ溜め息をついてまっすぐとロホを見た。
「謹んで、お受けいたします」
 その言葉にロホは笑みを深くさせた。頷いて机に戻ってある紙を取り出した。
「字の読み書きはできるか?」
「一通り」
 そういうと紙をルランに渡した。誓約書だが、ただの建前だ。ルランは署名と拇印を押
して渡すと次は何をするべきだろうと思った。と、いきなり先のとがった十字架を投げ渡
され刺さる前にとって眺めた。綺麗な銀色の十字架で四つの角が三角形になってとがって
いる。
「そうそう、服は……、六十三インチぐらいか?」
「まあ。そうでしょうね。六十四ぐらいで」
「そうか。ほれ」
 机の下に収納があるのだろうか机の上に投げられた服を手にとって生地のよさに少し感
動を覚えた。身にまとう服は最低限のものだった。
 そんな感動に浸っているルランの耳にカチャリとノブの音が飛び込んできた。そして、
廊下から入ってきたのはメニアとなぜか真新しい神官服を着た数日前の少年だった。
 それに気づかすロホはぶつぶつ呟いて何かを探している。その呟いている内容に、色を
なくしたのはメニアだけではなく、入ってきたことに気づいたルランも同じ事だった。こ
ちらは色をなくしただけではなく表情を引きつらせたのだった。
「部屋はなあ、どうしようか、知り合いったってあのおばさんだろ?」
「ちょ」
 教えようと口を開いたが音も立てずに机の目の前に移動する縦横に何倍も大きいメニア
の姿を見てやめた。
 机の下に座ってなにやらぶつぶつ呟いている総大司教と名高い外見若干三十過ぎの青年
は机を隔てて向こうに立っている一人の女傑の姿に気づかなかった。ルランは後退ってメ
ニアの後ろに控えてついて行こうとした少年の服を引っ張って後ろに立たせた。
「何だよ」
「黙って静かにしてろ。雷落ちるぞ」
 意味がわからないようにしている少年に目でメニアを指して納得させると、心の中でカ
ウントダウンを始めた。
「お言葉ですが、総大司教?」
 ゼロになったとき、思い切り机を蹴る音があたりに響き渡った。机の下にいたならばダ
メージは大きいだろう。案の定、総大司教は机の下からコロンと倒れ伸びていた。
「ノックしてから入れっていつも」
 ばっと起き上がったロホが机に額を打って悶絶している。メニアはざまあみろといいた
げに視線を下に向けた。
「人知れず悪口を言って、悠々自適に過ごしている総大司教サマには言われとうないです
わ」
 後ろには溜め息をついて額を押さえているルランとよほどびびったのだろうか腰を抜か
して二人を見ている少年がいた。
「で、何の用?」
「洗礼、何時ですかって聞きに着たんですけど、ルランと一緒にやるみたいですね。失礼
しましたね」
 行こうとするメニアに深く溜め息をついてルランは腰を抜かしている少年に手を貸した。
少年はなみだ目になりつつも目をぱちくりして立ち上がった。身長はルランよりも大きく、
ロホよりは小さい。メニアに関しては言うまでもなくメニアのほうが縦は一回り、横はふ
た周りは大きい。
「へえ、同じ部屋でいいかな、こいつら。気が合っているみたいだし」
「さあね」
 憮然としているメニアを一瞥して、やっと意味を理解したルランは首を激しく横に振っ
た。
「そういうことじゃないですよ」
 二人で仲良く直立している様を見て言ったロホにルランは慌てて言った。その言葉にわ
ざとらしく首を傾げて楽しげに目を眇めるロホはいいコンビになりそうだなと内心思って
いた。
「じゃあどういうこと?」
「とばっちりを受けないためだろ」
 きっぱりと言うルランにメニアから殺気が迸ったがふっとかき消してメニアは溜め息を
ついて涙目になっているヴィラにくすくすと笑った。
「まあ、たれ目のおじさんは放っておいて。で、部屋割りもきめてなかったんだね。いい
んじゃない。めんどくさいから」
「何だよ、そのめんどくさい」
「別にいいでしょ」
「まあ、な」
「んじゃ、けってー」
 間髪入れない言葉にロホが割り込んで台帳に記入した。決められてしまったと固まって
いたルランだが、ふとたれ目なのかとロホの目の辺りを見ると、蒼い瞳で、確かにたれ目
だった。少なくても吊り眼ではない。
「たれ目いうなって言ってんだろ」
「いつもあたしの事おばさん呼ばわりするのはどこの誰かしら?」
「事実だろ」
「そんなこと言ったら貴方のその目の端も事実でしょう」
 うっと黙り込んだ男に鼻を鳴らしてメニアは台帳をロホの手ごとばたんと閉めてにっこ
りと笑った。本人前ではとてもいえないが、魅力的ではない。脅迫されている気分に陥る。
「てことで、後の処理お願いします、総大司教さま?」
 とかなりご立腹なメニアはさっさと部屋を引き上げて、部屋にはルランとヴィラとロホ
が残った。
「あ、そうそう、俺の名前はロホ、総大司教でもいいし、ロホでもいいし」
 服を出し終えてルランに無造作に放り、ロホは二人を見てにやりと笑った。
「何でしょうか?」
「いんや、いい馬鹿コンビになりそうだなって思ってな」
「馬鹿はこいつだけですよ」
「そうかい」
 なにやら上機嫌なロホは数枚の紙を紙ヒコーキに形を変えて窓からどこかに飛ばした。
すぐ落ちると思ったが落ちずにどこかに飛んでいく。薄い紫の魔力が尾を引いて青空をゆ
っくりと飛んで行く。
「コレぐらい造作でもないだろう?」
「俺はですけど、こいつは」
 ぽかんと口を開けてアホ面をさらしているヴィラを指差して肩をすくめた。
「すっげー」
 ぽかんとしているヴィラを見て苦笑していると、案内が入った。
「そうそう、ほれ」
 投げ渡されたのは一つの箱だった。水でも入っているのだろうか。あけてみると小さく
て茶色い半球体の何かだった。
「お前の力を封じる事もできる魔具だ。瞳の赤を隠したいんならつけておくといい」
 目に直接つけるものらしいと中指でとって瞳につけると視界の色は一転しなかったがす
うと体にくすぶっていた何かが胸の奥に押さえ込まれたのを感じた。
「うん、かなり地味だ」
 そんな感想を漏らしたロホに深く溜め息をついて意地悪気な光を瞳に宿して肩をすくめ
た。
「髪の色だからでしょう。総大司教殿の方がもう少し、地味にしたらどうですか」
 格好を指差していうと案内と共に部屋を出た。その後をヴィラが続いて会釈を返しなが
ら扉を両手で閉めた。
 その背を見送ってロホは深く溜め息をついた。タバコをくわえて青い空を見上げて笑っ
た。
「よく言うガキだ」
 苦笑気味に呟くと、部屋の一角に目を向けた。何かが見えているらしい、ふっとかげり
を帯びた笑みを浮かべてまた窓の外、空を見上げた。
「相変わらずの子供好きなのね」
「まあな、あんな顔しているがきは放って置けなくってよ」
 どこからか声が聞こえた。やさしい女の声だ。ロホは喉の奥でくくくと笑ってタバコの
煙を外に吐き出した。
「さあ、どう転がるかな」
 一見、ただの男なのだが、ここまで上り詰めた実力がある。その実力とは、生贄なしで
神から予言を授けられる先見の力、通称、神の愛し子と呼ばれる力だった。予言は四六時
中来るのだが、実は、予言では、決して、あの子供を聖職者に入れてはならないというも
のだった。それを意味する事も一緒に見たのだが、彼の性質だ。そういわれると入れたく
なるんでなと、入れたのだった。
「いいの?」
「ああ」
 どこか気のない返事をするロホに、どこかにいてロホを見ているらしい女は深く溜め息
を吐いたようだった。
「まあ、貴方だもんね」
「そう思ってくれればいいよ。おれも、こんななりだけど、とりあえず司教賜って、自分
が立てた信念てモンがあるからよ。たかが自分の命の為にわざわざそれを曲げる事はない
と」
「……そうね」
 悲しげな声の主の気配が遠ざかっていく。それを感じて、さて、仕事だと呟いたロホは
タバコを消して机の片隅にさりげなくたまっている書類の束に手を伸ばした。

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