「……」
 誰もいなくなった部屋の中、ルランは照れ隠しか鼻を掻いて溜め息をついた。目を伏せ
て布団を見つめているとリリアとどこかでかいだ事のある男の匂いが部屋の中に入ってき
た。誰だろうかと首を傾げていると思い切り頭を叩かれて目をぱちくりさせた。
「ったく、何忘れてやがる、馬鹿が」
 その声に聞き覚えと共に懐かしさを感じて記憶を手繰り寄せると目を見開いた。何処か
に違和感があるがその黒い服に身を包んで肩にかかる位の髪を一つに束ねている姿は、記
憶にある姿と、いい意味でも悪い意味でも全く変わっていない。
「あんたもここにいたのか」
「はっ、よくいうよ、忘れていた弟子には言われたかないな」
 そういうふうに言いながら微かに嬉しそうにしているその顔も三年前から変わっていな
い。
「すいませんね。三年もご無沙汰じゃ忘れるもんじゃないですか?」
 そう言い返すと鼻で笑われた。ひどく感傷的になりそうだったがこの師匠の登場でそう
思う暇がなくなった。
「まったく、休むときは休めといっていただろう」
「休み暇がなかったんですよ、貴方みたいに女を口説きまわって屋根の下で夜、過ごした
くないですから」
「お前、まだ根に持っているのか?」
「何が……?」
 師弟の話についてきていないリリアは首を傾げている。だが、この師匠、レオのせいで
とてつもない目にあったらしい。ルランはじと目で言い訳をしているレオを見ている。
「だーかーらー、あれは不可抗力だろー?」
「子供みたいにいわないでください。しかもあれは、少し頭をひねれば考えられたじゃな
いですか」
 そういうふうに口論している二人を見てリリアはくすりと笑った。ふっと部屋の中に入
ってくる気配があった。目を向けると呆れ顔の短い銀髪で無精ひげを生やしている総大司
教が両手に拳を握って向かってきた。何をするか見当のついたリリアは道を譲り、来る時
をにっこりと笑って待ち構えた。
「うるさい」
 と、一言告げられた後、レオには唸る拳骨をくれてルランは頭に平手を食らった。
「いっ」
 何もいえずに床を転げまわるレオを一瞥して総大司教、ロホは深く溜め息をついた。
「お前も子供じゃないんだから。少し黙ってろ」
 師匠の口答えを知っているルランは半ばぽかんとして二人を見ていた。そんな間抜け面
を見てかリリアはくすりと笑った。
「まったく。起きた途端これなら、平気そうだな。ルランも」
「え、あぁ、はい。おかげさまで」
 叩かれた頭に手を当ててこくこくと頷いているルランにロホは深く溜め息をついてにっ
と笑みを浮かべた。
「ならいい。しばらくここに滞在してな。明日、答えを聞かせてもらうから、今日はゆっ
くり考えなよ」
「はい」
 座ったまま一礼したルランにロホはレオを見やって意地の悪い笑みを浮かべた。
「礼儀面ではお前よりかなりいいじゃないか。弟子がこんなんなら師匠もそれなりによく
なければいけないじゃないか?」
「それは育ちの問題ですよ」
「そうですか?」
 そのやり取りにリリアは困り果てて笑いながら三人を見ているとさすがはロホ、気づい
たらしい。溜め息をついてもう一度レオに拳骨をあげると、レオを引き摺って外に出た。
「すごい師匠をお持ちなんですね」
「あんなんだからかなり困った。当時十二歳過ぎのガキに女の口説き方教えるなんて脳味
噌どっか抜けてるから」
 とかいいつつも教わった事はたくさんあるなとふと思った。再会できて嬉しいがあの自
由奔放な師匠までこんなところに入っているのだから自分も入っても平気なんじゃないか
とふと思った。
「明日、答えをきくって、どういうことなんですか?」
 ふいにリリアが聞いてきてルランは簡単に説明するとリリアは目を見開いて嬉しそうな
光を確かに瞳に宿した。
「聖堂に勤めるんですか?」
「……、それを、明日まで、考えなきゃないんだ」
 肩をすくめているとリリアは首を傾げた。何かを考えている雰囲気が立ち上ってくる。
「いいところですよ」
 そして、にっこりと微笑んだリリアの顔に、否が応もなく視線が引き寄せられてあわて
て目をそらして目を伏せた。何か変な感じだと思いつつも高鳴り始めている胸に手を当て
た。
「まあ、仲は、よさそうだな」
「ええ。とても。ルランさんだったら、入れると思いますよ。いい感じの突込みとかで」
「そうか」
 そんな事いわれた事がなかったからどんな表情をすればいいかわからなかった。あいま
いに微笑むとリリアが淋しげに微笑んだ。
「ここにくれば、そんな顔しなくて、済みます」
「え?」
「ここは、本当にいいところです。他の聖堂でも、ここまで神官同士のつながりが強いと
ころはありません。偏見も差別もなくただあるがままを受け入れてくれる、そんな場所で
す」
 その言葉に実感が込められていたことに気づいて首を傾げた。それを見たのか、リリア
はすっと目を閉じた。
「これを」
 神官服の袖をたくし上げて見せられたのは白い腕に浮かぶ見た感じでも不吉な文様だっ
た。旅の中で何度かその文様に見覚えがあることに気づいたルランは驚いてリリアをみた。
「見ての通り、呪印です。邪神のね。……、生まれたときはこんなものはなかった。けれ
ど、邪の教徒と対面したとき、呪をかけられてしまったんです」
 腕を片方まくり、両手をぐっと握り締めてリリアはうつむいて唇をかみ締めた。
「やっと、人々を救えると思った矢先の出来事で、私は……」
 小刻みに震えるリリアにルランは手を伸ばして震えを止めてやりたいと思った。だが、
どうすればいいかがわからない。人々と交わっていれば、そんなことも教えてくれたのだ
ろうか。
「普通なら、私は穢れた身で、神に仕えるべき存在ではありません。普通の聖堂ならばそ
ういう扱いを受けます。けれどみんな受け入れてくれて、総大司教様も、薬草の知識があ
るのだから医務室で病気になった人々を癒してあげられるだろうと道を示してくれたんで
す。それから、私は、聖餐には出られないものの、医務室で薬師の真似事をしているんで
す」
 そういってあげられた顔にはまた、微笑みが浮かんでいた。その笑みに、ルランは息を
のんだ。まっすぐ見つめてそっとその頬に触れてみた。
「ルランさん?」
 不思議そうな色をたたえる瞳をまっすぐに見てその手を肩まで滑らせてくっと握った。
 何も言わずにただ見つめるルランは何か物言いたそうにしながらも必死に言葉を捜して
いるようだった。リリアは肩にある手に自分の手を重ねてルランを見るとルランの瞳に決
意の色が見えた。
「そう、か。呪印が消えてもこの扱いのままなのか?」
 肩を握り締めながらルランはリリアを見つめた。リリアは少し考えてから首を傾げた。
「呪印が消えたら、それなりに潔斎してから元の位置につけると思います」
「そうか」
 言葉少なげに頷いてリリアから目をはずしまっすぐ前を見た。その瞳には、先ほどまで
のかげりはない。むしろ、ひたすらな光がある。
「ルランさん?」
「ああ、いや、なんでもない」
 そういうと手をぱっと離して体をそっと横たえた。もう、決まった。
「どこか具合でも?」
 と、あせったように言うリリアに微笑みかけて蝋燭に目を細めた。仄温かい光がぼんや
りと辺りを照らしている。
「大丈夫。いつも寝てなかったからね。今日は早めに休もうと思っただけだよ」
 その声もどこか柔らかい。いきなり変わったその声に目をぱちくりさせながらリリアは
こくんと頷いた。

←BACK                                   NEXT⇒