目が覚めたのは翌々日の朝だった。ぼんやりと見知らぬ天井を眺めてルランは、頭に響
くような痛みと体の重さを感じていた。
「おきましたか?」
 聞こえてきたのは男の声ではなく、鈴を転がすような優しく小さな女の声。瞬きをして
かすんだ視界を鮮明にしてルランから向かって左にいた一人の女性を、少女を見た。
「ここは?」
 そう訊ねる声も、掠れ、弱弱しい。小さく咳払いをすると少女は吸い飲みで水をルラン
に飲ませた。重い息をついたルランの顔を覗き込んでふっと微笑んだ。
「ここは、聖堂です。貴方が倒れてから二日、経っています」
「二日も?」
 絞り出した声は先ほどよりはしっかりしたもののまだかすれている。少女が頷くのを見
てまた溜め息をつくと目を閉じた。
「また、眠りますか?」
「ああ。しばらく寝ていない生活だったからな。貴方は? 俺の名は、どうせ明かされて
いるのでしょう?」
 そういうと少女は長い銀髪を左右に揺らして首を傾げた。
「何も私は伺っていません。ですから、貴方の名前も……。私は、リリアと申します。貴
方は?」
 その穏やかな口調にルランは目を開けずにふっと笑った。リリアの表情が閉ざされる。
すぐに眠気が意識を揺さぶる。
「俺は、ルランていう」
 声がすうと小さくなっていく。半分目が閉じている。また、眠るのかとリリアは溜め息
をついてルランを見た。
「ずいぶんと、寂しそうな顔をして笑うのですね、ルランさんは」
 その声が急速に遠ざかっていく。ルランは自分が彼女に手を伸ばしたのにも気づかずに
眠りの渦に巻き込まれていった。また眠ってしまったルランの手がぱたりと掛け布団の上
に落ちるのを受け止めてリリアはそっとその手を手に取った。大きくて、冷たい手だった。
「……」
 ルランの寝顔を見つめるリリアの瞳も、なぜか淋しげで、瞬きをすれば、泣き出しそう
なぐらい潤んでいた。
「ずっと、自分を孤独の中においていたのですね。……悲しいお人」
 ポツリと呟くリリアの響きはどこか淋しげな朝が訪れた小さな小部屋の中、すぐに溶け
て消えた。
 また、ルランが目覚めたのはその日の夕暮れになってからだった。リリアはその間ずっ
とルランの傍にいたのだが、それについては何も言わずにあいまいに微笑んでいた。
 不思議な胸の温かさを感じながらルランはだるさの残る腕で体を支えて起き上がると、
ずっと寝っぱなしで固まっていた関節がぱきぱきと音を立てて、頭痛がした。
「大丈夫ですか?」
「ああ」
 手首を動かしてみて頷いた。立ち上がろうとするルランをリリアはその肩を押して首を
横に振った。
「何のようですか?」
「いや、ただ歩いてみようと……」
「まだなりません。体が治りきってないのに……」
「俺は風邪引いてるのではないのか?」
「だからです。倒れるほど悪化していたのです。体がだるいのであれば、まだ、休んでい
るべきです。……ね?」
 にこりと微笑んだ顔に覗き込まれたら頷かざるを得ないだろう。それにくわえ、人形の
ように愛らしいその顔でやられればなおさらだ。ルランも例外ではなかったようだ。
「……ああ」
 不思議と声が穏やかになった。まだ自分の温もりを持っている温かいベッドに体をそっ
と横たえるとまた溜め息がでてきた。少しは見慣れた白い天井は良く見ると埃か何かで少
し黒ずんでいた。
「聖堂の、医務室か?」
「ええ。そうです。何で、わかりました?」
 穏やかな問いかけにルランは肩をすくめてちらりと死角になっているところに目を向け
て口を開いた。そこには薬草がおいてある。
「薬のにおいがした。少し、さわやかな、そうだな、香草、煎じて香りで精神を落ち着け
て内服させて中身を治す物だろう」
 その答えにリリアは目を丸くしてすごいと口にした。確かにそこにはおいてあるのだが、
その効きの強さから引き戸の中にある引き出しの中に皮袋に包まれ厳重においてあるはず
だ。それを目的まで述べてしまうルランの分析力と嗅覚に単純に驚いていた。
「のみますか?」
「いや、いい。これぐらいわかってしまう鼻だからな、香草類はあまり使わないんだ」
「じゃあ?」
 ルランの服に微かにたき込まれていた匂いは何なんだろうかと、首を傾げた。そのしぐ
さにルランはふっと破顔して肩をすくめた。
「まあ、茶や香はたかないが体を洗うときにな。龍脳菊という花の葉を乾燥させたもので
体を洗うんだ」
 枕元においてあった普段腰につけている袋の中を探って数枚の袋と木の箱の中に入った
乾燥した葉を少し摘んでリリアの手のひらに乗せた。
「少し手ですってから匂いをかいでごらん。同じ匂いするから」
 言われたとおりしてみると確かに同じようなにおいがした。つんと鼻の奥を刺激するよ
うな匂いと共にすうっとした匂いが通り過ぎる。ルランは顔をしかめて手の甲を鼻に当て
ているがそこまで嫌そうではない。
「なんか、どこかで嗅いだ事のある……」
「少し樟脳の匂いに似ているかな。防虫剤。楠の匂い。それか、どこかの国の墨と呼ばれ
るインクの匂いだ」
「……へえ。うん。樟脳の匂いに近い。あの木でしょ?」
 窓の外に立っている大きな木がまさに楠だった。頷いてふっと笑った。もう、夕焼けが
沈んで暗くなっている。
「蝋燭、持ってきます」
「暗くて平気か?」
 簡単な魔術で火を灯して立ち上がったリリアの腰元に待機させて見上げた。紅い瞳と蒼
玉のような深い青色の瞳が交錯する。
「ありがとう」
 胸元にある火の玉を見てかリリアはにっこりと微笑んで部屋の外に蝋燭をとりに行った。
一方ルランはその笑顔を見て真っ赤になっていた。

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