聖堂の中に通されたルランは目を閉じて粛々と歩いていた。目を開いて瞳をさらし、聖
堂の中を一瞬でパニックに陥れるのは簡単だが、する必要もない。そのために目を閉じて
いた。
 何回か階段を上がりルランと案内役は一度立ち止まった。その目の前には重厚な扉が一
枚ある。
「総大司教様」
 外から声をかけると、思ったより若い声が返ってきた。総大司教の地位をもらっている
のだ。どんな爺さんだと内心思いつつもさりげなく目を開いて辺りを見回していた。
「何だ?」
「メニア司祭から通されよという少年を案内してまいりました」
「ご苦労。その少年だけ、入れ」
「ハイ」
 扉を開けてもらって一礼して机の上に座って足を組んでタバコを吸っている男を見た。
 三十過ぎぐらいだろうか、メニアよりは若いだろう。少し地黒で、短い銀髪で無精ひげ
をはやして、おまけにちゃらちゃらしたとはいえないものの青い石のついたピアスまでし
ている。神官服を着崩して胸元、少なくとも鎖骨のくぼみまでを露出させている男を、ど
う見ても、総大司教だとは思えないだろう。目をぱちくりさせながらルランはそう思った。
生臭坊主だろうか。
「君が、ルラン君か」
「はい。ルラン、と申します。どのような、用件で?」
 まっすぐ見てもこの男はたじろぎもしなかった。一度、柩機卿といういかにも肥えてい
るという感じの禿げ中年に会った事があったが、その聖職者の表情は畏怖と恐怖に染まっ
ていた。だが、この男は畏怖や恐怖より余裕というものが顔全体に書いてある。
「ダンピールだと聞いたが?」
「ええ。父が化け物でした。だから、この目ですよ」
 自嘲気味にそういうと男はその表情を見て目を伏せて溜め息をついた。何処か悲しげな
ものが漂ったのは気のせいだろうか。
「身体能力も、桁違い。その能力を化け物を屠るために、か。だが、君はそれで楽しいか
い?」
「は?」
 立場も忘れて思い切り疑問を顔に書いて眉を寄せた。いきなりの言葉にも驚いたが、そ
んなこと言われるのは初めてだった。少し暑くなってきて襟巻きを引き下げて顔を出すと
古本の甘いような匂いと机の微かなラッカーの匂いがした。視線をめぐらせると相当年季
の入った本が部屋の端から端まで書棚に詰まっている。年代記なのだろうか。所々かすれ
た数字が見える。
「すいません。おっしゃっている意味がわからないんですけど?」
 失礼を承知に言うと男はからからと笑った。優しい雰囲気が彼の周りににじみ出てきた。
笑うと目じりに皺が寄るその顔をじっと見つめて意味がわからないようにルランは首を傾
げた。
「だから、君は、今まで、楽しいと思ったことがあるのかい? それをやっていて。ずっ
と一人で、歩いてきたんだろう?」
「戦う事が楽しいと感じる輩は、それ以前にその頭が狂っていると、思います」
 決して楽しいなど、感じた事がなかった。なぜ、そこまで言うのだろうか。そこまで、
狂人に見られているのかと、胸のうちで溜め息を吐いて、まあいいやと割り切った。いつ
もの事だ。次に男が発した言葉にルランはまたもや驚く事になる。
「だったら、やめればいいじゃないか」
「は?」
 そんなことをすれば、自分の存在意義がなくなる。何もいえないで男を見ていると、男
が歩み寄ってきてわしゃわしゃと髪をぐちゃぐちゃにされた。
「ちょ、何を」
 ぐしゃぐしゃになった頭を両手で押さえたルランは睨むまでは行かないがそれに順ずる
目で男を見た。
「存在意義がなくなるならば、作ればいい。俺は、君を、この聖堂の副助祭にスカウトし
たい」
 心を読んだように男が言って、数十センチは小さいルランに男がかがんで目を合わせて
きた。探るならば探ればいい。そう、目が言っている。この言葉に偽りはない。そうとも
言っている。
「俺が、聖職者となって、その存在意義を?」
「まあ、今までと、あまり変わらないかもしれない。上のほうは、お前を抱きこんで、聖
堂のイメージアップにつなげたいらしい。でも俺はそんなのに、反対だ。抱き込むんじゃ
ない。お前が、お前でいられる場所を作ってやりたいんだ」
 またぐしゃぐしゃと真っ黒な髪を撫で回して男は笑っていた。町で見かけても、総大司
教だとは思わない、否、きちんと神官服を着ていても聖職者だとは思えないだろう。だが、
その声や、瞳にはには確かに聖職者にふさわしい慈愛がある。
「こんな子供が、ずっと旅をして、まともな飯も食わずに、金ももらえずにただ化け物退
治の片棒を担ぐぐらいなら、あったかい飯食えて、寝るとこもあって、金ももらえる、そ
んな場所に、来てもらいたい。おれは、そんな場所をお前に提供したい。そういうことだ」
 無邪気でまっすぐな目で見つめられて、逆にルランがたじろいだ。そんなこと、初めて
言われた。優しい声に、優しいまなざしにルランは男を見上げていた。
「俺はお前を受け入れられる。この聖堂は、ダンピールがお前のほかに、何人かいる。み
んなの理解もあるんだ。来ないか?」
 ルランは男を見上げたままどうするべきか、考えた。迷っている事を見てか、男はまた
無邪気に笑ってぐしゃぐしゃに頭をかき回した。
「迷っているのならば、そうだな、明日、明後日まで、猶予を与える。すこし、考えてみ
てくれ」
 そういうと男は胸の位置にない胸ポケットから銀縁の眼鏡を取り出してかけると机にま
た腰掛けて、紙の束に目を通し始めた。
「そうそう、こちらとして与えられる報酬はざっと二種類ある。国からの報酬と教団から
の報酬だ。どちらも同じぐらいだが、俺達聖職者は質素倹約をモットーとしているから、
国からの報酬は教団に寄付してもらい、教団からの報酬で生活する。それなりに、弾んで
るんだ」
 忘れていたという風に現実的な一枚の紙を渡されて目を通すと確かに弾んだ額の金額が
書いてあった。どこが質素倹約なのだろうかと思いつつ話を続ける男をみた。
「ま、そこら辺を考慮してくれ。ちなみに、食事制限はなしで、月一の聖餐に顔を出して
それなりに勤めてるだけで一番上の金額が支給される。それプラス一番下のものだ。いい
だろ?」
 金額的にはかなりいい話だ。頷いて明日また来ますと言い残して、ルランは部屋を出た。
外に控えていた聖職者が会釈をして案内をしてもらい、先程の門に出た。もうそこにはメ
ニアも青年もいなく、中に入ったんだと見当をつけながらまた、人通りのある街道に戻っ
た。


←BACK                                   NEXT⇒