二人で食堂を抜け出したルランとリュイはしばらく無言でトイレに向かっていた。
「本当はトイレじゃないでしょ?」
「そっちこそ、俺を連れて行く気だったくせに」
「あったりー。まあ、用をたしてきな。そこだから」
 頷いて指された部屋に入って用をたしてから、リュイの後に続いて階段を上った。
「神託、受けるよ」
「わかった」
 さっきのフェアルに会いに行くのだろうと辺りをつけてついていくと予想通りだった。
部屋に入って蝋燭でぼんやりとした室内を見てみると窓際のところで、月明かりを浴びて
読書を楽しむ眼鏡がいた。
「来たか」
「ああ。お前が初対面であんなこと言うのは初めてだからな。こちらとしても気になる」
「……保護者か」
「かもね」
 肩をすくめてリュイは壁に背を預けて重い溜め息をついた。調子が悪いのだろうか。
「椅子は目の前にある、座れ」
「悪いな」
 そういうとリュイはその椅子に座ってうなだれた。ルランはただ立ったままそのやり取
りを見ていた。
「ルランといったな。まあ、先ほどは悪かった。俺はフェアル。次期、神の代弁者だ」
「神の……?」
「ま、預言者だ。予言があれば総大司教と場合によっては教皇に伝えに行くだけだがそれ
なりに敬われる立場だ」
「ちなみに今の神の代弁者は総大司教本人だ」
 補足と告げられた言葉に驚きつつも総大司教からもらった物を眼からはずしてケースに
しまうと元の紅い目でフェアルを見た。
「ほう、これはこれは。神の啓示どおりだな」
 その紅い目を見つめたままフェアルは何処かから取り出したらしい塩を辺りに振りなが
ら遠く焦点をあわせた。眼鏡の奥の瞳が鋭い光を宿している。部屋全体に険しい、強いて
言うならば荘厳な雰囲気が振りまかれて、慣れているはずのリュイも背筋を伸ばしフェア
ルの予言を待った。
「ダンピールの子。強き力は身を滅ぼす。人として生まれながら妖魔の血を強く引き継ぎ、
その力は今封印されている。だが、このまま力を振るい続ければ、その力は解放されるだ
ろう。……他の者にも危害をくわえし、魔の力。封印の鍵は汝が想い。正しい思いならば
危害は加えん。自を保つ事だ」
 そういうと深く溜め息をついてフェアルは額を押さえた。目を細めてさらに遠くを見た。
「……。念のために封印具を作っておく事をお勧めする。自分で作ったものではだめだ。
そうだな、総大司教や、それに順ずる魔力を持つものによって作られたものだ」
 その言葉にリュイが深く溜め息をついた。頭をかいてフェアルをすっと見て疲れたよう
な表情をする。
「レオ、か?」
「いや、医務室にいる、あの女だ」
「聖堂の剣か?」
「ああ」
 まだ、入って初日。二人が話していることが全くわからなかった。どうやらいろいろな
隠喩や、比喩を使っているらしい。いずれわかるだろうなと思いつつ、言葉の終わりを待
った。
「あとは、聖具については、自分で作るのはかまわない。人間に渡すのも問題ない。人の
手や、エルフが作ったものよりさらに強い物ができる。それなりに人間も鍛えないとだめ
だな」
「はーい。やっときまーす」
 そういうとリュイが立ち上がった。もう終わりかとリュイに目で聞くと頷かれた。ルラ
ンは部屋を出て行こうとするリュイの後を続いて部屋を出る直前、フェアルに一礼をして
出て行った。
「いい心がけですね」
「神の言葉の代弁者とやらだろ、神同然に敬っているならば俺もそれに従うのが道理だ。
本当は神など信じないのだがな」
「ははは、じゃあ、聖職者になったのは居場所をもらうためかな?」
「今のところ、な」
 肩をすくめて目に入れていたものをいれ直してから言葉を返し二人で食堂に戻った。あ
んなにどんちゃん騒ぎをしていた食堂はもう、人っ気のない、ただの食堂になっていた。
席の片隅ではレオが一人で晩酌をしている。
「もう、就寝の時間だったか」
「ああ。先にヴィラを返しておいた。ルラン、貸せよ」
「ああ」
 物扱いを受けているルランはむっとしながらかつての師の隣についた。リュイは一つに
束ねた淡い色の髪を揺らしながら自室に帰っていった。
「で、どんなこといわれた?」
「…………」
 深い口調。この口調のときは無理に聞きだそうとしないことを一緒にいた二年の間で覚
えていた。ルランは器を取って、レオの分の酒を少し分けてもらってから喉を潤すと口を
開いて大雑把に告げた。レオはあまり話さなくてもわかってくれる。
「妖魔の血のほうが強いらしい。あんたの言ったとおりだった」
「だろ? 俺の見立ては狂わねえんだよ」
「よく言うよ。女を見る目は狂っているくせに」
「いうな」
「もう、十五ですから」
 肩をすくめて酒を煽ると溜め息をついた。早くも人々の熱気は薄れ涼しい夜風が食堂を
渡る。
「いろいろな事があっただろう」
 声音は師匠の声音だ。最も苦手とする男ではなく、最も慕っている師匠の、深い声音。
「はい」
 旅をしてきた日々に思いを寄せているのだろうか、ルランは目を細めている。酒を煽る
手を止めて溜め息をつき目を伏せた。
「救えなかった命も、あっただろう?」
「はい」
 師匠の言葉を忘れずに今まで歩んできたのだ。あの言葉は忘れられないものだった。
 それは発つ日だった。この師匠の下で行くのは簡単だが、でも、自分で生きてみたいと
思ったときが、十二のときだった。もう、並みの魔物は目をつぶっても倒せるぐらいの実
力になっていたと思う。
 ――行くなら、救えなかった命、それを大切にして生きて行け。大事なのは命だが、大
切にしなければいけない、覚えていかないといけないのは救えなかった命だ。それができ
るのであれば、行けばいい。
 その言葉は、今も深く胸に刻み込まれている。一番、忘れてはならない言葉として。
「覚えているのであればいい。……しかし、お前もここに来るとはな」
 その言葉に顔を上げてレオを見るとレオは肩をすくめて苦笑している。
「俺の悪いところ全部教えたにもかかわらず神の道に入ってくるとはかなり罰当たりだな」
「貴方に言われたくないですよ。あの頃まだ俺は、いたいけな十歳の子供だったんですよ? 
俺には何の罪はありません」
「今は穢れきったガキか?」
「穢れさせたのは誰ですか?」
「俺だわな」
 つかみ所のない会話に溜め息をついてまた酒を煽ると最も苦手な男を一瞥してまた溜め
息をついた。
「人の顔見て溜め息つくなよ」
「つくに値する面だよ」
 溜め息混じりに言うと器に波紋を描く無色透明な酒を見た。暖色の光が反射して目を射
る。
「夜は、長いな」
 ポツリとレオは呟いた。その言葉に最後の一口を飲み干しながら、レオを一瞥した。
「ああ」
 そう頷くと、お開きになった。酒の器を片付けて部屋に戻ると顔を真っ赤にしてヴィラ
が寝ていた。飲んでいたのはルランの四分の一にも満たないだろう。酒に弱いらしい。下
戸な奴と独りごちて濡れタオルで体をふいてから布団の中に入った。


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