血濡れる月に祝祭の鐘を
                   序、
                


 闇の中、広い荒野に、一人、さすらう少年がいた。旅の道連れはなく、ただ、独りで。
 静かな夜道の冷気のなかをボロボロの外套で体を包み、守り、薄汚れた襟巻きで顔を隠
し目を閉じて歩いている。
「血の匂いがするな」
 ぴたりと歩みを止めて風が運んできた血の匂いの出所を確かめた。きょろきょろとする
ように目を閉じたまま顔を左右に振りゆっくりと、目を開いた。
 顔の半分を覆っていた襟巻きを引き下げた。長いところで顎の辺りまである直毛の黒い
髪の毛がふわりと風にさらわれ、隠されていた顔が月光に照らされる。顎の輪郭は鋭く、
唇の形も整い、鼻梁はすっと通っている。一般的に美少年の域にあるだろう。だが、彼が
身にまとっている何処か重く鋭い物で人を圧倒して、近づく者はいないだろう。
 そして、切れ長の目にある彼の瞳は、一般の、黒や茶色、蒼でもなく、鮮やかな赤だっ
た。そう、言うならば、血のように紅。不吉なものと移るような紅に彼は人々に奇異の目
で見られてきたのだろうか。
「腐臭。……、いるか」
 そう独語すると少年はもう一度目を閉じて走り始めた。その速さは人にはありえないほ
どの早さだった。
 少年が消えたその荒野の西の空に大きな月が全てを見守るように静かに照らしていた。 

 荒野から少し離れた、小さな村。今は夜で、寝静まっている。その中、一人の死人がさ
まよっていた。静まり返った小さな街並みをふらふらと歩き何かを求めるように両手を挙
げている。
「血を……」
 渇望に彩られた呟きは闇の中、ひそかにもれた。遠く木に止まっていたらしい烏が何か
に驚き何処かに飛び立つ。その羽音に目を細めながら死人は首を傾げた。どこからか生者
のにおいがした。
 ある、路地裏から、がさりと物音が漏れた。死人はそこに鋭く目を向け口端を引き上げ
た。
「生き血だ」
 その呟きを聞いたのか、路地裏にいた人影が飛び出てきた。手には何かが握られている。
そして、死人に襲い掛かると持っていた何かで切りつけた。
「死ねっ」
 渾身の一撃だったのだろう。死人の片方の腕は切り落とされぼたりと足元に落ちた。腐
りかけた腕は大地に返る事もせずにただ、そこにある。傷口からは本来ほとばしるであろ
う液体がもれる事もなく腐汁がじわりとにじみ出てきている。痛みはないのだろうか。死
人は人影に笑いながら襲い掛かった。
「くそっ」
 その様子を見て人影は悪態をつくと持っていたらしいにんにくを投げつけてさっさと逃
げた。死人もそれをよけて人影を追いかける。二日ぶりの生き血だ。にがさまいと追いか
けてくる。
「こっちに回れ、早く」
 何時からいたのだろうか、荒野を駆けていた少年が逃げている人影に呼びかけた。人影
はそれにすがるしかなく声が聞こえた方向に体を反転させて少年の後ろに逃げた。
「二人?」
 死人は笑みを深めて少年と人影に襲い掛かった。少年は今まで閉じていた目蓋を開いて
鋭く見据え死人を見て腰に仕込んでいた銃を構え、一気に引き金を引いた。
 銃光が辺りをぱっと照らす。左右の建物のいびつに重なり合う形と死人の顔色、少年の
姿が一瞬で照らされる。銃声の余韻が残る中、死人は地面に這い蹲るように倒れ、塵とな
って、消えた。
「助かった……」
 その様を見届けて人影がポツリと呟いた。少年は背を向けたまま銃に入っていた空薬莢
を手のひらに取り出し腰につけてある袋に入れ、新しい弾丸を詰めて立ち去ろうとした。
「ちょ、待ってくれよ」
 背を引き止めて腰を抜かしていた人影が立ち上がった。少年は振り返ろうともせずに背
を向け、立ち止まっていた。
「俺は、俺の存在理由の為に殺しただけだ。お前に感謝される覚えはない。それに、なぜ
こんな真夜中、出歩いていた? まさか、その首切り包丁であれを倒そうと考えたのか?」
「腕一本切り落としたんだ。……」
「そんなものじゃ、死なねえよ」
 冷たく言い放つと少年は足早に立ち去ろうとした。何処か逃げようとしている風もある。
「待てってば」
 行こうとした細い肩をつかんで振り返らせると、頭一つ分以上低い位置には真っ赤に燃
え盛る、炯眼があった。驚いて目を見開いて人影が何かを言う前に少年は溜め息をついて
人影を見据えた。
「わかったか、俺は混血だ。俺の存在理由はあの化け物を倒すだけだ」
 そういうと、少年は歩き出した。言ったというよりは言い聞かせるような響きがあった
のはただの錯覚なのだろうか。
 何がともあれ、少年は、呆然としている人影を背に感じながら、来た道を戻って、また、
旅路に着いた。
 月は煌々と辺りを照らしている。少年はまた、会うことがないであろう人影に夜に歩か
ないようと忠告し忘れたなと思いつつも、歩を進めていった。

 沈み行く大きな紅の月がただ静かに二人を見つめていた――。
  
 

 どこまでも当てもなく、ただ、屠るためにあるその体。
 
 人の温みすら感じられないのだろうか。それとも、感じさせられないのだろうか。
  
  彼が死すべき道は遠からず近からず。ただ、そこにあるだけの存在。
  
  死神すら彼の味方をする。
  
  故に彼は死なぬ存在。
  
  彼は孤独に生きている。
  
  彼は夜道に生きている。
 
 
 ただ、屠るため――。
 
 
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