空燃ゆ
 
 空が、赤く、紅く燃えている。そんななか、歩く二人の影があった。一人はタクティカ
ルベストを着込んだ長い栗毛の髪が印象的な女で、もう一人はタバコを加えた黒髪、眼鏡
の男性だった。
 二人が歩いているのは戦場だったところだ。今は住居はもちろん、何もかも人の気配す
らないところだ。
「人の気配しないところ、請け負ってもねえ」
 女がつぶやく。その腰にはナイフと銃がある。男の腰を見ても同じものがある。格好は
違えども同業者と見てよさそうだ。
「仕方ないだろう。任務だ。あれに文句言えるなら言って来い」
「パス」
「だったらおとなしくする事だ」
 表に出してないが男も女と同じ気持ちらしい。タバコを深く吸ってため息混じりに吐き
出して空を見上げた。
「何してんの?」
「疲れた」
 男は半ば壊れかかった家の壁に寄りかかりしゃがみこんだ。空の橙がとてもきれいだ。
タバコもこげた中、オレンジを見せる。
「ちょっと、早く終わらせよーよー」
 女はむくれながらも男の隣に座った。くわえタバコがトレードマークの男は肩をすくめ
かすかに笑った。表情に乏しい彼の表情を読み取れる数少ない友人である女は溜め息を吐
いてさりげなく男のほうに寄った。
「しばらくサボっていても平気だろう」
「まあ、そうだね」
 男の言葉にうなずいて男から差し出されたタバコに火をつけて一緒に吸った。片手を腰
に持ってきて無意識にナイフの柄に触れた。握りやすいように緩やかなくの字になってい
るのがご自慢の部隊専用のものだ。
「なにやってんだろうね。あたしたち」
「しらね。しいて言うならば、ただの馬鹿?」
「いうね」
「事実だろう」
 心底嫌になったと言いたげな男の表情に女はくすくす笑った。これをみるのが楽しいの
だ。
「馬鹿だろう。俺たちは。自分が生き残るために他人を殺し、上にいる者共の為に命を懸
ける。他のやつは知らんが、大体上にいるのは腐った連中だ。何が国を良くするためだ。
国という権力が欲しいが為に殺し合い、結局俺たちが死ぬ。上の連中はぬくぬく温室で、
こんな修羅場をしらんやつらだ。金さえあれば事足りると思っているような、ね」
「聞かれたら謹慎ね」
 任務を第一に考える彼の口からそんなことが聞けるなんてと思ったがさりげなく見回し
てしまった。
「だったら上を一掃してから死んでやる」
 極論だ。彼の言葉に少し蒼褪めて再び近くに誰もいない事を確かめて深くため息を吐い
た。確かに、彼の言うとおりだ。金さえあれば、世の中は回ると思っている馬鹿な政治家
連中がこの国を治めている。この戦いも、そのせいだと彼は言いたいのだろう。
「そうね。そん時はあたしも呼んでよ」
「当たり前だ」
 さも当然のように言った男は紫色に染まっていく空を見上げてため息を吐いた。眼鏡の
奥の漆黒の瞳には何が見えるのだろう。どこか遠くを見ているような視線だ。
「さて、もうそろそろ行かなければ、うるさくなるな」
 立ち上がってタバコを捨て踏んで火を消すと男は何もなかったように歩き始めた。
「ちょ、待ってよ」
 どこまでも気まぐれな彼にそういうと女はタバコをくわえたまま歩き始めた。吐き捨て
て男と同じように踏むとふと何か違和感を感じて視線をめぐらせた。
「来る」
「ああ」
 男は酷薄な笑みをその頬に浮かべて銃とナイフを取った。右手に銃を、左手に刃を。そ
う構える彼は職場の中ではかなり異端な位置にいた。
 また同じように女も構える。女は逆に右手に刃、左手に銃だ。二人を囲んだのは飢えた
狼だった。
「犬使いがいるね」
「あそこだ。それとなく殺せ」
「了解」
 うなずくと足技を交えつつ狼を牽制して殺し、狼を統率しているらしい銃の射程距離ぎ
りぎりにいる人を撃った。見事命中。背中から内臓と血を撒き散らしながら倒れていった。
銃弾と刃と鋭い蹴りが交錯し数分後には完全に狼は死んでいるか伸びているかしていた。
「腕ならしにも鳴らないな」
 そうねとうなずきかけたが近くの民家に何かがいる事に気づいて男の冷たい手を引いて
一回隠れた。
「なんだ?」
「誰かいる」
 声を潜めて言うと全く装備をしていない男を置いてその家に入っていった。
「おい、待て」
 珍しく男のあせった声が聞こえ、銃声と銃声と肉が断たれる音を残して彼女の意識は途
絶えた。

 何かに包まれている。暖かい毛布か何か。摺り寄せても布の感触しかしない。手は、誰
かに握られている。冷たい、あの人の手だ。
 ふと目をあけると顔に大きなガーゼを張った眼鏡の男が片腕を吊って外を眺めていた。
「おきたか」
 女は体を起こすと動いていないため、頭と節々が痛んだ。男もまた病院服でタバコを吸
っていないらしく不機嫌そうだった。
「何がおきたの?」
「お前がうかつに飛び込むから、他の部隊のやつらに打たれたんだ。で、俺は巻き添えを
食らって肩甲骨に二発もらった。で、お前を狙撃したやつはへたっぴだったから何もなか
った」
「うかつって……、あたしのせい?」
「そうだ。顔はガーゼほど重傷じゃないが肩のおかげでしばらく動けん」
「その分は……?」
 働いて返してもらうと言葉を継いだ男は幾分安心したようにため息を吐いて病室に帰っ
ていった。仏頂面の朴念仁だが、心配はしてくれたらしい。結果的に無事だったからいい
がと言いたげなあの言葉に女はくすくすと笑った。
「素直じゃないもんね」
 恋人ではない。……ただの戦友だ。
 あの時、珍しくあの仏頂面を紅くして返ってきた彼の言葉がよみがえり笑みを深めた。
彼女にとって、その言葉はとてもうれしいものだった。何がともあれあの男に認めてもら
っているのだ。戦友として。
「戦友が怪我したから様子見に来ただけだとか、言いそうね。あの人なら」
 あの人という言葉にいろいろな思いが込められていた。女はくすくす笑ってまた体を横
たえた。
「あの人が、あたしを守ってくれたんだ」
 後でお礼言わないとねとつぶやいて、彼が眺めていた空を見上げた。
「素直じゃない上に、結構情熱的だからね」
 眼鏡の奥に潜められた光が鋭くなるのも薄れるのも強くなるのも何もかも知っているの
だ。紅く染まっていく彼女の顔とともに彼女の病室も赤く染まっていった。

 そして、女は退院し、男は病院に残った。無理もない。肩甲骨に入った弾は肩甲骨を砕
いていたのだ。かなりの痛みだったろう。だが、彼は意識を失いもせずにただ顔を少し歪
めて仲間同士で送る手筈の緑と青のライトの光を狙撃手に送ったのだ。そして、意識を失
った女を片腕で担ぎキャンプに戻った後、倒れたと彼自身から聞いた。そこからしてかな
りの異端なのだが男は自覚ない。
 いま、彼は病室で、彼にしては珍しく、病人らしく病院服をまとい、おとなしく肩をつ
るしている。肩甲骨を砕いたため体が動かせないからだと後に言われたが、その光景があ
まりにも面白かった為に女はしばらく腹を抱えて笑っていた。
「とりあえず、誤射したやつらの給料を俺の治療期間の医療費に当てて、余った分は生活
費だ。お前は働かなくていい」
 少し不機嫌そうに言うと彼は鼻を鳴らした。ニコチン切れていらいらしてますの合図だ。
タバコを与えてやらないともっと無口になる。後で購買で買ってきてやろうと思って首を
かしげた。
「パラサイト?」
「そうともいえる。どっちにせよ、誤射したほうがわるい。とりあえず、俺の右腕になっ
てくれ」
 使えないぶんなと流し目で言われた女は顔を真っ赤にしてうなずいたのだった。無論、
なぜ紅くなったのかを知らない男は無表情の中に少しだけ不思議そうな色をたたえて首を
かしげたのだった。